PROFILE
■Juicy’s History■
1977年10月 |
岡本家の長男として広島に生を授かる
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小学生時代 |
絵を書くのと身体を動かすのが大好きな少年時代。
サッカーが大好きだったが、小学校にサッカー部が無くミニバスケ部に入部。
習字をも少し習う。水泳も少し習う。
勉強はあまり好きじゃない。
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中学生時代 |
念願のサッカー部に入部。しかし根っからのフォワード気質のためディフェンダーばかりの1年で面白さを見失う。
結局1年で辞め、バスケに戻る。そこからどっぷりバスケ三昧。
勉強は好きじゃない。
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高校生時代 |
工業高校に行きたかったがバスケで声をかけてもらった為、何故か眼中に無かった商業高校へ入学。
高校卒業までバスケに明け暮れる毎日。バンドも経験。
勉強はキライ。
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専門学校時代 |
高校卒業後デザインの専門学校に入学。しかし学んだのはグラフィックでは無く、インテリアデザイン。
遊びを覚える。
勉強はしない。
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社会人時代 |
就職活動の苦労もそこそこにステンレス加工の看板会社へ入社。溶接等のガチガチの工業系。しかしモノ作りの楽しさをここで知る事になる。
ここまで商業→デザイン→工業と道はバラバラに歩いて来たが、
社会人までストレート。順風満帆。
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2000年 冬 |
社会人3年目出世するも、一般的に言う“普通”というモノが何なのかがわからなくなり初めて人生というモノに悩みを持ち始める。
1年間悩み苦しむ。
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2001年 冬 |
“軌保博光”(現:てんつくマン)という男に出逢ってしまう。この出逢いによって人生が大きく動き始める。
ずっと持ち続けた想い“自分の作品を世に出したい”を信じ、そして目指し、3年半勤めた会社を退社。
しかし、辞めてみたもの不安定な日々にまた苦悩する。
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2002年 夏 |
てんつくマン監督・総指揮のドキュメンタリー映画
『107+1 〜天国はつくるもの〜』に参加。
※この時にてんつくマンに “ジューシー”というあだ名を付けられる
沖縄から鹿児島までの900kmを沖縄の手漕ぎ船 “サバニ” で最高の仲間達と共に完走。かけがえの無い経験と、仲間を手にする。
映画の撮影終了後、広島に戻るが、沖縄での自由時間と現実とのギャップに苦しむ。そしてまた悩む。
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2004年 春 |
環境を打開するべく広島を離れる事を決意。
香川県のてんつくマンの事務所に入社。
環境問題、海外支援など、今までに興味も無かった事に携わる事ができ、成長。
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2006年 春 |
事務所が小豆島に移転。
小豆島ではグッズデザイン、イベント制作、村作り(廃材での建設)を担当。
その傍ら、路上詩人としてもデビュー。
路上詩人の可能性、人との出逢い、自分の作品、墨と筆の奥深さ、全てにハマり、初めて向上心が沸き上がる職に出逢えたと感じる。
自分の道が見えてくる。
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2007年 秋 |
30歳という節目。
自分のやりたい事を形にするべくてんつくマンの事務所を卒業。
兵庫県西宮に拠点を移し、路上詩人、デザイナーとして関西を中心に活動開始。
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現在 |
路上ではもちろん、イベントやフェス等にも呼ばれるようになり、これまでに1万人以上の人に言葉を贈っている。
筆文字を使ったアートやデザイン、筆と墨を使った絵画、版画等の制作も手がけ、『枠に捕われない』をコンセプトに日本全国で活動中。
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※路上詩人としては主に “三ノ宮マルイ前” で行っております。